夏越の祓えからが次の日。月夜と夕香の仲はだんだん良くなって行き、その日、二人
は近くでやっていた縁日に行っていた。勿論、学校に行った後だから七時過ぎだが。
 月夜は渋い藍染めの浴衣を着て、夕香は同じく藍染に白く蝶が染め抜きにされた浴衣を
着ていた。長い髪は上げて簪を挿し、普段は見えない白い項が見えていた。それが人込み
の熱気でうっすらと桜色に染まっている。
「わあ、すごい」
 縁日などに行った事がないらしい夕香はその人の多さと露店の多さに驚いていた。
「お前って、遊んでそうだけど遊んでないんだな」
 その驚きようを見て月夜はぼそりといった。それが聞こえなかったのか月夜の手を引い
てその人ごみの中に入っていった。
「おい」
 いきなり手を引かれて驚いたように歩き始めたがはぐれて捜すのはめんどくさいなと思
い直してその手を強く握り締めた。
「はぐれんなよ」
 月夜はどこに行こうか迷っている夕香を引き連れてとりあえず金魚掬いの露店に向かっ
た。
「金魚掬いだ〜」
 無邪気な声を上げる夕香に月夜は困ったように首をかしげた。そして、懐からちりめん
の小銭いれを出して二百円払って二枚の網をもらいその一つを夕香に渡した。
「見てろよ」
 月夜は袂が水に入らないように左手で押さえて赤い金魚を網で五匹を次々と取った。そ
して、網が破れたとき、月夜の茶碗に金魚が八匹いた。
 夕香はみようみまねでやってみるが上手く取れない。結局夕香は残念賞で一匹もらい月
夜の八匹とあわせて袋に入れて月夜は夕香にそれを持たせた。
「藺藤ってすごいねえ」
 金魚をしげしげと見ながら夕香は言った。月夜はその言葉に肩をすくめて鼻を鳴らした。
「別に、金魚掬い出来ても意味ないだろ。あ、狐の面あるじゃん」
 お面が売っている露店を指差して月夜は言った。夕香は自分が売られているような心地
がしたような気がした。
「そんな顔するなって、珍しい事に張子作りのようだな」
 昔ながらの鬼面や狐の面が売っている。そこには子供より大人、取り分け初老近くの人
々がいる。
「……」
 月夜は目を伏せた。初めて縁日にきたとき、狐の張子の面を買ってもらった。その張子
の面はもうないが、思えばあれが初めての父からのもらい物だった。
「藺藤?」
 首を傾げて覗き込む夕香にゆっくりと首を振ってなんでもないというとふと、懐かしい
匂いがした。
「都軌也兄〜!」
 その声に振り返ると尻尾を振って喜んでいそうな土色の長い髪をもった中学生ぐらいの
少女が手を振っていた。その後ろにはげんなりとしている嵐と目をきらきらとさせている
莉那がいた。
「麗か」
 月夜はいささか驚いた。麗とは、嵐の妹なのだが体が弱くて現世にはこれなかったはず
だ。だから、いつも嵐と遊ぶ時は異界に出向いて麗を混ぜて遊んでいた。だが、きてい
るということは――。
「体大丈夫になったのか」
 そう訪ねると麗は心底嬉しそうにこくんと頷いた。その嬉しそうな表情に月夜はかすか
に笑みを浮かべた。
「で、あそびにきたのか?」
「うん。嵐兄さんの邪魔しにきたの」
「おい」
 相変わらずな麗とその言葉に焦る嵐に月夜は内心にやりとした。麗の続きの言葉を待つ。
「凛姉さんが嵐の邪魔してきなって。狸さんが困ってるみたいなら鉄拳制裁有りって言っ
てたからきたの」
 嵐は蒼褪めて莉那は楽しそうに笑っている。月夜は肩をすくめて相変わらずなこの三兄
弟に苦笑した。
「嵐の妹さん?」
 一方夕香は聞いた事も見たこともないみたいで目を見開いて首を傾げている。麗はにっ
こりと笑ってちょこんと頭を下げた。
「兄がお世話になっています、天狐のお姫様」
 その礼儀正しさに逆に夕香は驚いていた。
「本当に妹なの?」
 真顔で聞いてくる夕香に月夜はため息をついてうなずいた。そして耳元で囁いてやる。
「外面はいいけど、身内とかになると容赦なくなる。まあ、初めてならそう思うだろうな」
 苦笑を噛み締めて月夜はいった。夕香はその言葉にそうと頷いて何か口げんかを始めた
麗と嵐を見た。その後ろでは困った顔をしている莉那がいた。それを手招きしてこっちに
逃げさせるとその口論に溜め息をついた。そして麗が嵐に手を出した。
 軽快な打突音。そして少し経った頃には叩かれた頭を抱えてほとほと涙をこぼしている
嵐がいた。
「やっぱ兄弟なんだ」
 その様子を見て夕香は呟いていた。その言葉に月夜は噴き出してしまった。
「なによ」
「別に、真顔でそんなこと言うなよ」
 いつもより幾分和んだ雰囲気を身にまとって月夜はくすくす笑っている。その顔は少年
らしい笑みは浮んでいないがいずれ和んで穏やかな笑みを浮かべられるだろう。
「で、いつまで帰れと?」
「とりあえず五つ半の刻まで」
「あと一時間半ぐらいか。一時間半話しているわけにも行かないだろ。遊べ遊べ」
 月夜はそういうと嵐と莉那と共に麗を連れて行かせた。麗が夕香に何かを囁いたようだ
が彼女らのことだ。別にいいと思いながら月夜はフーと息をついて露店を見た。
「あと、なんか食うか?」
「そうね。何食べる?」
 日常的な言葉。
 日常的な会話。
 月夜は話しながらふと思った。夕香は楽しそうに顔をほころばせながら露店をきらきら
とした目で見ている。
 適当にお好み焼きとたこ焼きチョコバナナを一つづつ買うと月夜の部屋に帰った。この
頃夕香と一緒に食事をとる機会が多くなってきた。
 ご飯を炊いていたからそれをかき回して味噌汁を簡単に作って夕香と自分の分を持って
机の上に置いて箸を渡して手を合わせた。
「頂きます」 
 仲良く声を合わせて言えば顔をあわせて顔をほころばせた。二ヶ月前には考えられない。
日常生活でも、互いのことでも。
「いい専業主夫になれんじゃないの?」
「冗談。俺は任務してるな。あ、でも、女房が料理下手で腹壊すような物だったら役割り
交代してもらうね」
「そこまで毒料理は作った事ありません〜!」
「でも、洗剤入れて米研ごうとしたじゃん」
「それは……」
 言葉に詰まった夕香に月夜はふっと破顔した。珍しいほどに優しく穏やかに崩れた顔。
学校で彼がこんな顔をして笑うのを見たことある人がいるのだろうか。答えは否だ。こん
な顔をして笑うなんて誰も思っていないはずだ。こんな顔をできるなんて。
「じゃあ、次は作ってもらおうか」
 いつも俺ばかり作ってるからなといいたげに言うと月夜はご飯にがっついた。食欲がな
い事はいつも同じことだからご飯に味噌汁をかけて食べている。
「何食べたい?」
 本気にしたらしく夕香が真剣に聞いてくる。月夜は恐れ多いと思いながら口にしてしま
った。
「肉じゃが」
 その言葉に夕香の顔が目に見えて紅くなった。月夜は顔に出ないように首をかしげた。
「俺、なんか言ったか?」
 確かに自分が言ったそれは新婚夫婦の主婦が作る代名詞のような物だが、別に、自分た
ちは新婚である訳ではない。
 夕香が紅くなった訳は簡単だ。麗に言われたのだ。がんばれ新婚さんと。彼女も子供で
はない。意味が分かっていっているのだろう。
「別に、作ってあげるよ」
 ご飯にたこ焼きをおかずにしながら食べている夕香を不思議に思いつつ月夜は外を見た。
 外はまだ早いが夏の風物詩、花火が夜空に咲いていた。
	「花火だ」
 月夜はカーテンを開けて見てみると晴れているらしくかなりきれいに見えた。
 花火特有の音に身を竦ませていた夕香は夜空にある大輪の花火に目を見開いた。
  「わぁ、きれい」
 その表情を見て月夜はふとおもってしまった。まさかと思いつつも口に出すとそうだっ
たらしい。夕香は花火を見たことがないらしい。
「クラスの連中が夏まつりの時やってないのか?」
「めんどくさいから加わってなかったの。あんただってそうでしょう?」
「まあ、な」
 花火見たことないなんて他の連中にはいえないかと思って、月夜は部屋の電気を消して
窓を空けた。
「そこに座ってな」
 月夜はそう言うとキッチンに戻って冷蔵庫を開けた。確か、スイカが入っていたはずだ。
それを切って夕香に渡すと夕香の隣に座った。
 なんと用意周到なのだろうか。夕香はもらったスイカを頬張りながら思った。計画して
いたというのであればその計画性に驚くが計画もしていなくてあったのであれば運が良か
ったというのだろうか。
 二人は並んで一足早くきた夏を見つめていた。優しい時間はあっという間に過ぎていく。
 そんな二人をドアのフックにつらされている金魚だけが見ていた。
「金魚どうしよ」
「そうだな、猫にでも」
「かわいそう〜!」
 九匹も買う馬鹿いるかと思ったが八匹もとったのは自分だ。さてどうするかと思って一
人だけ押し付けられる人がいたことに気付いた。
「兄貴に渡すか」
「兄貴?」
 夕香は月夜の家族構成について詳しく知らない。父は夕香の兄が殺し、母は幼い月夜を
置いてどこかに。兄弟がいてもおかしくない。
「七つ違う。犬神が使えないから分家のほうにまわされてるんだ」
 分家も分家で役割があるらしい。彼の話によると薬師を生業にしているらしく月夜が薬
草や薬の調合ができるのはそっちのほうからきているらしい。
「まあ、あっちに金魚鉢もあったからな。転送すっか」
 月夜はそういうと金魚を指差してそっと指を横に薙いだ。そうすると金魚は何処に消え
た。
「まあ、大丈夫だろ。後が恐いけどやっちまったもんがちだ」
 月夜には珍しくそう言うと花火を見た。
「綺麗だな」
 月夜はスイカを食べながら言った。夕香はコクンと頷くとむしゃむしゃとスイカにかぶ
りついた。その様子を見て月夜はふっと笑った。
 ――――こんな時がいつまでも続けばいい。

 時はあまくない。時として無慈悲な決断を下す時もある。自分に下される可能性も十分
にある。だが、だけど、それでも今の時のような穏やかに流れる時があればそれで言いと
思う。

 月夜は胸にそんな思いを抱きながら煙に飲まれていく花火を見ていた。

 ――――夜は更けていく。


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